自己紹介 Instructor

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神澤雅月

Mizuki Kanzawa

日本礼法道協会認定講師

看護師

「創作香房まとい」ホームページへのご訪問
誠にありがとうございます。

主宰の神澤雅月です。

以前は看護師をしておりましたが、
現在は香司・礼法講師として
講座・ワークショップを開催しております。

もともと超庶民の私が様々な出来事から「和」の世界に入り、
日々奮闘しております。

少々長くなりますが、自己紹介をさせていただきます。
最後までお付き合いくださいませ。

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〈気づいた時には将来の夢は看護婦だった〉

先ほども書かせていただきましたが
私は以前は看護師をしていました。
なぜ看護師を志すようになったのかは
自分でもよくわかりません。

小学校の卒業文集には
「将来の夢は看護婦さん」
と書いていたので、
小さいながらに何かしらの決意があったのだと思います。

普通科の高校を卒業したあと、看護学校に入学。
21歳から看護師として働き始めました。

初めて働いた大学病院では消化器・乳腺外科病棟に勤務。
子供の頃からの夢を実現したので
看護師という仕事は嫌いではありませんでしたが、
その内容は大変なものでした。
いつの時代も同じです。

病院と職場の往復の毎日。当然、夜勤もあります。
休みの日はひたすら寝て、体力と精神力を回復させ
仕事のためだけに生活する日々。
とはいえ、とてもやりがいのある仕事でした。

大学病院4年目の時に夫と出会い、結婚・退職。
子ども2人を出産したあと、地元の小さな総合病院へ復職しました。

復職した病院では、子どもを保育園や学童保育に預けながら、
パートタイマーの病棟ナースとして働いていました。

パートといっても、小さな病院ですから
私が働く時間帯は、ほぼパートの看護師さんたちばかり。
つまり職務内容はお手伝いというものではなく、
がっつり普通の看護師さんです。

週5日、朝8:30から夕方17:00まで働き、
それでも業務が終わらず、残業になることもしばしば。
保育園にお迎えに行くのが21時近くになることもありました。

子どもたちに淋しい思いをさせていると思いながらも
家計を維持するために看護師を続けました。
幸いだったのは、気の合う同僚たちがいたこと。
どんなに忙しくても、病棟の雰囲気が良かったので
働くことができていました。

〈好きだったはずの看護から心が離れて〉

パートで働いていたその病院は
いわゆる「老人病院」のようなところ。
患者さんの多くは、
特別養護老人ホームや介護老人保健施設に入所されている高齢の方が
体調を崩し、入院されてくるパターン。

ご自分で食事の取れない方、意思疎通のできない方、認知症の方が多く、
胃ろうという、胃に入っているチューブから
栄養剤を流し込む方もかなりいらっしゃいました。

認知症の方の中にはこちらに攻撃をしてくる患者さんも。
「私はピンポンボールか…」と思うくらい
パコンパコン叩かれていました。

看護をしているというよりは
介護をしている中に、検温をしている。
体の向きを変える、オムツを変える、痰を取る、食事介助、その繰り返し。

ご高齢で自分で体の向きが変えられない患者さんは
床ずれといって、お尻やかかとなどの組織が壊死してしまう症状が多発します。
この床ずれの処置も必須です。

ただただ、やらなければならないことを必死でやる。
「もう少し看護師の人数がいれば…」と思っていましたが、
そんな病院は、新しい看護師を募集してもなかなか入職してくれません。

運良く新しい看護師が来たとしても、あまりの忙しさに
1ヶ月も経つと辞めていってしまいます。
毎月、新しい人に業務を教えては
どんどん辞めていく、悲しい状況。
結局あとに残るのは、ともに頑張ってきたいつもの同僚。

「私があと3人ほしい…」

毎日終わらない業務に、途方に暮れていました。
しかもご高齢の方が多い病院でしたので、
みんなが回復して退院となるわけではありません。
仕事をするモチベーションも保てない。

胃に栄養剤を流し込まれる患者さんたちを見ながら
「よく死ぬってどういうことだろう」
と考えるようになりました。

〈どうしても辞めなければならない状況は突然来る〉

どうにもこうにも忙しすぎて
病棟は徐々に殺伐としていきました。
そこでともに頑張ってきた病棟看護師長と同僚ナース数人とともに
病院の理事へ状況改善を求めることにしました。
一人で訴えるよりも、皆で訴える方が効果があると考えたからです。

この直談判をしようと決めた時に、私は勤続9年目。
そのほかの看護師は10年を超えたベテランばかり。
このメンバーが訴えれば
理事もなんとかしてくれるだろうと期待をしていました。
私たちが求めたのは

・看護師を増やしてください
・もし増やせないのであれば、寝たきりの患者さんを減らしてください
・それも無理なのであれば、給料を上げてください

以上の3点。
この希望が通らなければ、私たちは退職しますと伝えました。
病院理事の方は、私たちの訴えは受け入れてはくれました。
しかしその答えは、私たちが期待するものではありませんでした。

まず、看護師の増員については
随時募集をしているのだが応募がない状況。
そのため、すぐの増員は難しい。

しかし、患者の状況を変えることもできない。
なので、賃上げについてご相談しましょう。
ただし、看護師一人一人状況が違うので、
ここからは個別での面談で、ということになりました。

個別面談では、理事の方は
「あなたは長年この病院に貢献してくれた。
あなたにはこれからもこの病院で働いてほしい。」
と、まずこれまでの働きを感謝してくれました。

ところが提示された給料の額は
時給数十円のアップ。

あれ?私、この病院に9年いるんだよね…
1年で10円アップもしてないよ…
ファストフードでのバイトの方が
もっと時給アップするんじゃない…?

「もう、ダメだな」

この面談で、この病院を去ることは私の中で決定的になりました。
しかしこの面談、ここで終わりませんでした。
1ヶ月後に退職しますと告げると、後日
勤務中にもかかわらず、カンファレンスルームに呼び出され
「病院全体をこの騒ぎに巻き込んだ責任はどうしてくれるのか?」
と詰め寄られました、1時間。
つまり、退職を延期しろと。

こうなると、怒りと悲しみが溢れて人間不信です。
追い打ちをかけるように、
実は同僚の中に、改善を訴える前から理事と話をしていた人がいたと聞きました。
私たちの動きは、初めから理事にはわかっていたことだったようです。

医療への不信、病院経営への不信、人間への不信。
色々な不信が重なり、
この病院を辞めるだけではなく、
「もう看護師は辞めよう」と決意したのです。

〈辞めたはいいが、看護しか知らない私〉

退職後、家計のためにはすぐに働きたいところでしたが、
先のゴタゴタのせいで、私の気力は全くなくなっていました。

それに看護師という職業は
高校を卒業したらすぐに専門課程に入り、
そのまま病院に就職するので
普通の仕事というのを全く知らないのです。

そもそも看護師は小さい頃からの夢であったで
ほかにやってみたい職というのを考えたこともない。

気力もない、何をしたらいいのかわからない私に、
夫は「自分と一緒にいてくれればいいよ」
と言ってくれました。
しばらくその言葉に甘えることにして
まずはのんびりしてみることに。

けれど、ずっと家と職場の往復ばかりだったので
のんびりと言っても、どうしていいのかわからない。
趣味がない、というか自分の好きなことがわからないのです。

自分の気が向くものをやっていこうと思い、
ゆっくりと趣味を探していたら
案外好きだったのが美術館で絵を見ること。

学生時代の美術の成績は散々なものでしたが、
世界史の授業、特に西洋史が好きだったので
西洋絵画を見ることは、私の好奇心を刺激してくれました。

絵を鑑賞しているとだんだんと知識がついてきます。
あるとき「美術検定」というものがあることを知り
「ちょっと受けてみようかな」という気に。

書店で検定のテキストが売っていたので
まずは購入し、検定がどういったものなのかと読み進める。
例題を解いていくと、あらすごい!!
私ってば、初めての問題なのに最初の級の問題は
8割くらいは答えられるのです!!

「楽勝だわ」と思い、テキストを進めていったのですが、
あるところで急ブレーキ、ほぼわからなくなったのです。
それは「日本美術」。

テキストの前半は「西洋美術」でしたが、
後半が「日本美術」となっていて、
その日本美術が壊滅的にわからなかったのです。

その時思ったのは
「英語も話せない私が、これで日本人ですと言えるのだろうか」と。
初めて私の心が日本に向かった瞬間でした。

〈日本の心を知る〉

これ以来、そこまで好きではなかった日本について
積極的に取り入れてみようと動き出しました。

そんな中出会ったのが「お香調合体験」。
香りに興味はなかったのですが
お香を自分で作れるなんて知らなかったので、
どんなふうに作るのだろうと興味から参加してみました。

この時は「塗香」の調合。
線香以外のお香の存在も初めて知ったし、
お香を材料から合わせていくことも初めて知りました。

「日本にこんな面白い文化があったのか!」
と驚き、同時に
「私が知らなかったということは、他にも同じように知らない人がいるはず。」
「せっかく昔から残っている文化なのに、このまま知らない人が増えていったら、
この文化は無くなってしまう。」
と思ったのです。

「ならば、私がこの文化を伝えよう」

お香調合の道に進もうと決意し、
すぐにお香調合をする人=香司を養成している学校へと入りました。
このとき看護師を辞めてから3年が経っていました。

ほぼ時を同じくして
たまたま友人に呼ばれて出席した会合で
たまたま隣の席に座っていたのが、
現在の私の礼法の師匠。
師匠とあいさつをし、
初めて「礼法」というものを知りました。

看護師をしていたときは
こういった会合に出ることは皆無だったので
「あいさつはどのタイミングですればいいの?」
「名刺交換の仕方は?」
など、慣れないことでオロオロしてばかりの私の横で、
師匠は落ち着いているし、姿も美しい。

礼法の講座を開催されているということで
「礼儀がわかって、恥ずかしくない動きができるように」
と、その会合の3ヶ月後に講座を受けました。

その講座で詳しく礼法についてお聞きし、
実際に和室での歩き方や座り方を学び
たった1回の講座でも所作に自信が持てたので
「これはしっかりと身につけたい!」と入門。

礼法は所作を身につけることと思っていましたが、
礼法の本質は、精神を学ぶこと。
所作を身につけることで、
内側も磨かれていく感じに惹かれました。

しっかりと礼法を学ばせていただいたのち、
師匠が新たに、認定講師養成講座を開設されるとお聞きし、
1期生として参加したいと名乗り出ました。

今思えば、友人に誘われたあの会合は
師匠と出会うために参加したとしか思えないのです。
なぜならその後、その会合は二度と開かれず、解散しましたので。

〈なぜ、看護師に戻ろうとしないのか〉

患者さんと接していて感じてしまった疑問、
「よく死ぬってどういうことだろう」。

自分で体を動かすことができず、
自分の口で食べることもできず、
自分の意思を伝えることさえもできず、
胃に開けたチューブから栄養剤を入れられている患者さんたち。

申し訳ないのだけど、その患者さんたちを見て
「生かされている」
と思ってしまったのです。
「死ぬに死ねない」
とも思ってしまったのです。

こうなる前に、自分がどう生きたいのかを
家族なり、医療者なりに伝えることはできなかったのか。

そもそも、自分がどうやって死にたいのかを
考えていたのだろうか、と。
そして私もそれを考えているのだろうか、と。
病院を去る時に私が出した答えは

「よく死ぬことはよく生きこと」

自分が死ぬ時に「次はどんな人生にしたいですか?」と聞かれたら
「もう一度同じ人生を」と言える生き方をしたい。
それには、毎日を精一杯生きなければならないと気付いたのです。
そういう生き方をしようと心に決めました。

現在は香司、礼法講師として活動をしています。

お香と礼法を通して、
日本を誇りに思えるように、
そしてこの国に住んでいる自分自身を誇りに思え、
自信を持てるようにお手伝いすることが
私の目指す「生き方」なのではと思ったのです。

上流階級の出身ではなく、
普通の庶民の私です。

ハードルが高そう、堅苦しそう、
お香と礼法はそんな印象があるかと思いますが、
こんな私が体験してきた、理解してきたことを
わかりやすくお伝えすることができるとかと思っております。

夢は講座・ワークショップでお香と礼法をお伝えしながら
日本全国を回ること!!

ぜひ私と一緒に
「和の世界」をお楽しみいただければと思います。

神澤 雅月(かんざわ みづき)
🌸「創作香房まとい」主宰
🌸薫物屋香楽認定講師
🌸日本礼法道講師
🌸元・看護師



香司とは

香司とは、香料選びから調合、仕上げまで、お香の制作に関する一切の責任を負う人。
天然香料についての専門知識と研ぎ澄まされた感性を持ち、
伝統の製法に基づく奥深い香りを生み出すスペシャリスト
(13歳のハローワーク公式サイトより一部抜粋)

“Koshi” is a person who takes full responsibility for the production of Japanese incense”Okou”, from selection of perfume to preparation, finishing.

A specialist who has expert knowledge about natural fragrance and sharpened sensibility and produces a deep scent based on traditional manufacturing methods.